母と父は夫婦二人でかれこれ30年以上、
築地市場で運送業を営んでまいりました。
築地に休みがない限り、というほど、忙しい現場の中で
母は若い時から抱っこにおんぶ紐を駆使しながら、
4人兄弟の私達を育ててくれました。
母はそんな目まぐるしい毎日の中でも、
わずかな時間の隙間をどうにか見つけるかのように、
自転車なら前と後ろに幼子を乗せペダルを踏み込み、
タクシーなら口を尖らす子供達を諭しては飛び乗り、
お店やギャラリー、美術館、劇場にと足しげく通っておりました。
落ち着きがなく、モノを壊すからと叱られる幼い私は、
ウィンドーの窓越しから、
ほんの10分、30分という限られた時間の中で
一つの器や一枚の布を大事そうに手に取るたびに、
まるで息を吹き返していくかのように見える母を見つめ、
早く家に帰りたいと一心に願うばかりでした。
今、一応ではありますがいっぱしの大人になると、
このことがどれほど難しく、そして何より大切なことだと気付く毎日であります。
今回、主人が家具デザイナーとしてお手伝いさせて頂きましたNoismの舞台、
新潟公演、神奈川公演を無事に終えるとともに、「観る」ことの
意味深さを感じずにいられませんでした。
そんな漠然としたおもいに包まれた中、
母が中学生だった私を連れて観た思い出深い舞台、
カンパニー・フィッリップ・ジャンティーが今年度来日し、
40周年記念としてパルコ劇場で公演さるということで観に行って参りました。
10年以上経って、主人とともに観たフィッリップ・ジャンティーの舞台は
自転車にまたがり疾走する若き日の母が、毎日という日常から何を見出していたのか
それを体感するかのようでした。
そして同時に、その姿を追うように、重ねるように思いました。
NATURを訪れて下さるお客様お一人お一人の大事な大事な時間の隙間、
その隙間の中で、NATURとして、私達として、
大切な何かをお探しするお手伝いが出来るようになれば
それが店舗としての本望なのかもしれない、そう考える一日でした。